日本のロックの歴史#021

ポスト・テクノ&ニューウェーブの行方


■ムーンライダーズ
1974年の“はちみつぱい”解散後、鈴木慶一を中心にムーンライダーズが結成され、76年に1作目を発表。翌年、ギターが白井良明に交代した頃からサウンドも緻密になり、アレンジも凝り始める。ワールド・ミュージック的要素の積極的な導入も試みた。79年〜81年頃にリリースした作品群は実験的なレコーディングが試みられ、テクノ・ミュージックやニュー・ウェイヴの頂点ともいうべき作品に仕上がっている。86年から休眠状態に突入。91年の復活後は再び活発な動きをみせ、『月面讃歌』などの力作を発表している。2011年に無期限活動休止を表明。

■戸川純
80年に元ハルメンズの上野耕路とレトロ・ユニット、ゲルニカを結成し、82年に『改造への躍動』を発表。84年にアルバム『玉姫様』でソロ・デビュー。また、のちにバンド、ヤプーズとしても活躍(初期は戸川純とヤプーズ名義)。変幻自在のヴォーカルとエキセントリックなパフォーマンス、独特の世界観で人気を呼び、多くの影響を与える。2018年9月、上海で開催された音楽フェスに出演。11月、アーバンギャルドのおおくぼけいとのユニット「戸川純 avec おおくぼけい」を発売。

■パール兄弟
1986年6月、アルバム『未来はパール』でデビュー。幾度かのメンバー・チェンジ、サエキのソロ・ユニット時代を経て、2006年8月、オリジナル・メンバーのサエキ、窪田、バカボンが再集結し、2013年には、一時バンドを離れていた松永、矢代が加わった5人編成でのライブを開催。今後このメンバーで定期的に活動することを宣言して現在に至る。

■PSY・S
松浦雅也とCHAKA(安則まみ)による男女2人組ポップ・ユニット。1985年にアルバム『ディファレント・ビュー』でメジャー・デビュー。1980年代後半の活動当初から、当時最先端のフェアライトCMIを駆使し、1990年代のJ-POPを先取りしたような、先進的なポピュラー音楽を創り出し、CHAKAの圧倒的な歌唱力によって唯一無二のポップス世界を展開した。ミュージシャン仲間からも絶大な信頼を集め、数多くのレコーディングに参加している。96年に解散。

■レベッカ
リーダーの木暮武彦(g)が中心となり82年に結成される。84年4月にシングル「ウェラム・ボートクラブ」でデビュー。木暮の脱退後、土橋安騎夫(key)がリーダーとなると、それまでのロック路線からシンセポップ路線にシフトし、紅一点のNOKKO(vo)のキュートでパワフルなヴォーカルやファッションを強調したスタイルで話題を呼ぶ。85年に発売の4thアルバム『REBECCA IV 〜Maybe Tomorrow〜』がオリコン1位を獲得し、当時の国内ロックアルバムとしては異例のミリオンセラー(累計130万枚超え)を記録する。「RASPBERRY DREAM」ほかヒットを連発して人気絶頂となり、BOØWYとともに第二次バンドブームの先駆けとなった。91年に解散。

0コメント

  • 1000 / 1000

地獄の入り口は楽園への近道?

カレーやエスニック料理、海外探訪、ロック、ジャズ、ブルース 、エスニック音楽などをレビュー。