日本のロックの歴史#026

ロック多様化の時代


■BARBEE BOYS
1982年に結成。男女のツイン・ヴォーカルを特徴とし、男女間のさまざまな場面を、音と音の隙間を活かしたサウンドにのせて表現するバンドスタイルである。83年、「CBS・ソニーSDオーディション」でグランプリを受賞し、翌84年にシングル「暗闇でダンス」でデビュー。86年に『3rd.BREAK』でブレイクし、TMネットワーク、レベッカらとともにJ-ROCKの一時代を築いた。

■RED WARRIORS
1985年、元レベッカのギタリスト木暮武彦と、田所豊を中心に結成された。木暮はレベッカのバンド名に固執しており、結成当初は「レベッカ♂」というバンド名だった。86年メジャー・デビュー。複雑な多様化の始まった80年代後半の日本のロック・シーンの表舞台に、突如グラマラスでワイルドな往年のロックのイメージを復活させた4人組。89年に解散するまでバッド・ボーイのイメージと華やかなR&Rサウンドを固く守って人気を博した。

■ZIGGY
1984年に結成。87年10月に『イン・ウィズ・ザ・タイムス』でメジャー・デビュー。時代は空前のバンドブームとなっており、メジャーデビュー後のZIGGYもバンドブームの隆盛に比例する形でCDセールスやライブの動員数を伸ばしていった。89年のシングル「グロリア」が大ヒット。バンドブーム終焉とともに多くのバンドが解散や活動休止に追い込まれる中、ZIGGYは2008年まで活動を継続。バンドブーム期を経て生き残った数少ないバンドの1つである

■TM NETWORK
前身バンドのSPEEDWAYを経て、1984年に「金曜日のライオン」でデビュー。シンセサイザーを大幅に導入した新世代ロック・バンドとして注目を浴びる。87年に「セルフ・コントロール」「ゲット・ワイルド」などの大ヒットでブレイク。90年にTMNと改名。メジャー・デビュー10年目となる94年に“終了”宣言。その後、小室哲哉は音楽プロデューサーとして時代の寵児となっていく。

■米米CLUB
1982年に結成。アマチュア時代から「謎のパフォーマンス集団」と呼ばれるなど、積極的にメディア出演を繰り返し、85年のシングル「I・CAN・BE」、アルバム『シャリ・シャリズム』でメジャー・デビュー。当初は“イロモノ”として扱われることが多く、聖飢魔II、爆風スランプと合わせて「三大色物バンド」と呼ばれたこともあった。90年「浪漫飛行」92年「君がいるだけで」をはじめとするヒット曲やエンタテインメント性の高いライヴで人気を不動のものにする。97年に解散するも2006年に期間限定で再結成。同年に期間限定を撤廃し、活動を継続。

■爆風スランプ
1981年のヤマハ主催バンドコンテストのEastWestで、最優秀グランプリを受賞した『爆風銃』のメンバーであったファンキー末吉と江川ほーじん、優秀グループ賞を受賞した『スーパースランプ』のサンプラザ中野とパッパラー河合の4人により結成される。84年、『よい』でデビュー。ギャグ感覚満載のユーモラスな歌詞と超絶的テクニックによるファンク・チューンで人気を集める。88年にリリースしたシングル「Runner」は、初の大ヒットとなった。

■聖飢魔II
1985年にアルバム『悪魔が来たりてヘヴィメタる』でデビュー。彼らは音楽を媒介にして悪魔教を布教するために組織された「教団」であると主張している。86年の「蝋人形の館」のヒットとデーモンのTVなどでの軽妙なトークで大衆的な人気を獲得。デビュー時の公約では1999年(魔暦元年)7月に活動を終えるはずだったが、事情を知らない侍従(マネージャー)がその後の予定を入れてしまったために解散を延期。1999年12月31日23時59分59秒、「地球征服を完了した」として解散し、光の中に消えていった。

■GRASS VALLEY
1986年に結成。デジタルサウンドを多様した独自のニューウェイブサウンドを打ち出し、1987年にアルバム『GRASS VALLEY』、シングル「FREEZIN'」でデビュー。作品を重ねる都度、ロック色を強める。92年に解散。

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