日本のロックの歴史#027

日本産ロックの成熟期へ

■B'z
1988年にデビューし、シングル『だからその手を離して』とアルバム『B'z』をリリース。90年の「太陽のKomachi Angel」で初のオリコンチャート1位を獲得し、以降のシングル連続首位獲得を重ね、日本でのアルバム総売上枚数歴代1位としてギネス認定されるなど、数多くの記録を樹立するモンスター・ユニットへと躍進した。デビュー当初は打ち込みにハードなギターを合わせた音楽スタイルで、TM NETWORKに近いサウンドであったが、次第にロック色が強い作品を発表するようになる。

■■LINDBERG
元アイドルだった渡瀬マキは、そのバックバンドのメンバーのひとりだった平川達也とバンドを1988年に結成する。翌89年にデビューし、シングル「ROUTE 246」アルバム「LINDBERG」をリリースする。90年にドラマ主題歌となった「今すぐKiss Me」でブレイクし、以降「BELIEVE IN LOVE」「恋をしようよ Yeah! Yeah!」などヒットを連発する。

■スピッツ
1987年に結成し、91年にシングル「ヒバリのこころ」とアルバム『スピッツ』でメジャー・デビュー。シングル「ロビンソン」「涙がキラリ☆」やアルバム『ハチミツ』などのヒットを機に、人気バンドとしての地位を確立。以来、心地よいメロディと情緒あふれる詞世界で幅広い層から支持され、J-POPシーンを代表するバンドとして活躍。

■Mr.Children
1989年に結成し、92年にミニ・アルバム『EVERYTHING』でデビュー。翌年のシングル「CROSS ROAD」でブレイク。94年発売の5thシングル「innocent world」で初のオリコンチャート1位を獲得し瞬く間に人気となる。
以降、数多くのミリオンセラーを生み、国民的バンドとして幅広い支持を獲得。日本レコード大賞、日本ゴールドディスク大賞などの受賞歴をはじめ、トータルセールスなど数々の記録を樹立した。

■ウルフルズ
1988年に結成される。バンド名はレコードの帯の“ソウルフル”の文字が改行で“ウルフル”と読めたことから。92年にシングル「やぶれかぶれ」でデビュー。泣かず飛ばずの状況の中、ミスチルやスピッツを意識した楽曲を作ったが、レコード会社のスタッフから「もっと自分達がやりたいものは?」と問われ、小室哲哉からは「ディスコみたいな音楽合っていると思うよ」とアドバイスを受けていた。そんな紆余曲折のから95年のシングル「ガッツだぜ!」でブレイクし、3rdアルバム『バンザイ』がミリオンヒットを飛ばした。ソウルフルなヴォーカルと持ち前のコミカルさで老若男女問わず幅広い支持を獲得。2009年からの一時活動休止を経て、2014年2月に再始動。

■THE YELLOW MONKEY
1988年に結成。92年5月にシングル『Romantist Taste』でメジャー・デビュー。95年4月の日本武道館公演を成功させた。96年にリリースしたシングル『JAM』、続く『SPARK』が大ヒットを記録する。以降、数多くのヒットを放つほか、長期ツアーなど精力的にライヴ活動を展開。日本最強のライヴバンドとして君臨するも、2001年1月の東京ドーム公演で活動休止し、2004年7月に解散。2016年5月のツアーより再始動。

■JUDY AND MARY
1992年2月結成。同年4月にインディーズよりアルバム「BE AMBITIOUS」とビデオを発表。93年9月、「パワー・オブ・ラヴ」でメジャー・デビュー。YUKIのコケティッシュな魅力と、ポップさの中にマニアックな一面を忍ばせた楽曲で人気を博す。96年、9thシングル「そばかす」はジュディマリの人気を決定付ける代表曲となり、ミリオンセラーを記録した。99年、バンドは活動を休止。YUKIはNiNAやCHARA+YUKI、TAKUYA(g)はROBOTS、恩田快人(b)はwhiteberryのプロデュ-スなどで活躍する。

■シャ乱Q
1988年に結成。バンド名はメンバーがそれぞれ所属していたアマチュアバンド時代の名前「シャッターズ」(しゅう、まことが所属)「RAM(乱)」(つんく、しゅう、たいせーが所属)「QP(キューピー)」(はたけが所属)を寄せ集めたものである。90年代初頭、大阪城公園でのゲリラ・ライヴで話題となり、91年の「NHK-BSヤングバトル」でグランプリを獲得。92年に「18ヶ月」でシングルデビュー。94~95年にかけて「シングルベッド」「ズルい女」が大ヒット。奇抜なファッションやユーモアのセンス、艶やかな歌謡メロディで注目を集めた。97年頃よりつんくは「モーニング娘。」などのプロデューサーとしても活躍。

■エレファントカシマシ
1981年に結成し、88年にデビュー。音楽誌『ROCKIN'ON JAPAN』にて、破格の新人衝撃のデビューの見出しで大々的に紙面に取り上げられる。90年代後半には「悲しみの果て」「今宵の月のように」などがヒット。絶大な人気を博す。2012年に宮本の急性感音難聴の影響で一時ライヴ活動休止となるも、2013年に復活。90年より恒例の日比谷野外音楽堂ライヴも継続。2017年はキャリア史上初のオールタイムベストを発表し、NHK『紅白歌合戦』初出場を果たす。

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