日本のロックの歴史#015

テクノポップの時代

■イエロー・マジック・オーケストラ
1978年に細野晴臣、高橋幸宏、坂本龍一の3人で結成されたシンセサイザーとコンピュータを駆使した革新的な音楽を目指したテクノ・ポップ・グループ。79年発表の2作目『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』が大ヒットし、巷を席巻する。海外での評価も高く、その後も音楽シーンに多大な影響を与えた。

■プラスチックス
イラストレーターの中西俊夫(vo,g)、ファッション・スタイリストの佐藤チカ(vo)、グラフィック・デザイナーの立花ハジメ(g)らを中心に、1976年に結成。その後、四人囃子のベーシストの佐久間正英、リズムボックス担当の島武実が加入。1979年、イギリスのラフ・トレード・レコードから「Copy/Robot」を発表。この頃、アメリカで注目を集め、「B-52's」「Ramones」「Talking Heads」と同じ事務所に所属し、海外でツアーを精力的に行う。81年のアルバム『WELCOMEBACK PLASTICS』は日米英独でリリースされた。同年解散。

■P-MODEL
プログレッシヴ・ロック・バンド“マンドレイク”を母体に1979年に結成。同年、シングル「美術館で会った人だろ」とアルバム『イン・ア・モデル・ルーム』でデビューし、“テクノ・ポップ”ブームを牽引。1981年に発売された3rdアルバム『Potpourri』で「脱・テクノ」を宣言。

■ヒカシュー
1978年に結成された日本のノンジャンル音楽ユニット。リズムボックスとメロトロンを使ったバックグラウンドに地下演劇的な内容と軽快で色彩感ある歌声を加味した音楽で活動開始。当初はニューウェイヴやテクノポップ・バンドとして知られ、P-MODEL、プラスチックスと共に「テクノ御三家」の一つに数えられたが、81年の3rdアルバム『うわさの人類』以降はテクノポップ的な要素から離れたインプロヴィゼーションによる楽曲へと転換した。

■ジューシィ・フルーツ
近田春夫 & BEEFが母体となって結成され1980年にデビュー。デビュー曲で代表曲でもある『ジェニーはご機嫌ななめ』は、テクノ風アレンジと、ボーカルのイリアこと奥野敦子のファルセットボイスで注目され、34万枚を越えるヒット曲となった。その曲調から当時流行したテクノ歌謡として紹介されることも多いが、ジューシィ・フルーツ自体の音楽性としてはギター・ロックバンドでもある。

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