日本のロックの歴史#018

硬派なロックのメジャー化

■RCサクセション
1970年、「宝くじは買わない」でシングルデビュー。72年、3rdシングル「ぼくの好きな先生」がヒット。1978年、それまでのフォーク形態からロック / R&B形態へ移行し、忌野清志郎は髪を短く切って逆立て、派手な衣裳にどぎついメイクをしてステージに出るようになる。当時、その衝撃の大きさからマスコミでは「パンク・ロック」と評される。80年、ライヴ・アルバム「ラプソディ」をリリースしロングセラーとなる。これ以降は商業的にも成功を収め、日本一のロック・バンドと呼ばれるまでに成長。また82年、清志郎と当時YMOで人気絶頂であった坂本龍一との共演シングル「い・け・な・い・ルージュ・マジック」が大ヒットを記録。知名度を爆発的にアップさせていった。 

■ARB
1978年、アレキサンダー・ラグタイム・バンドとしてシングル「野良犬」でデビュー。1979年にアイドルとして売り出そうとした事務所のシンコー・ミュージックと対立して独立。80年、ARBとして再出発し、戦争や社会問題を歌うストイックな社会派へ変わっていき、新宿ロフトなどのライブハウスをメインに活動し、ライブバンドとしての評価を得る。83年の田中一郎の脱退後、斎藤光浩がBOW WOWから加入する。これ以降、ギタリストによってバンドサウンドの方向性が変化するため、ギタリストが変わるたびに「第○期」という表現が用いられる。また、石橋凌、キース以外のメンバーは流動的になる。

■THE STREET SLIDERS
1980年に結成され、福生基地でのライヴで“リトル・ストーンズ”との評判を得ていた。83年アルバム『SLIDER JOINT』、シングル「Blow The Night!」でデビュー。以来、その圧倒的なライヴ・パフォーマンスで人気を集め、80年代後半には『BAD INFLUENCE』などのヒット作を連発。バンド・ブームのさなかにも時代に媚びることのない姿勢は、孤高のロックンロール・バンドとしてシーンに君臨した。

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