日本のロックの歴史#019

めんたいロックの躍進

■サンハウス
サンハウスの各メンバーは、60年代半ばに福岡市内のダンスホールでハコバンとして活躍していた。1970年に、ブルース バンドとしてサンハウスが結成され、75年、テイチクレコード/ブラックレーベルより1stアルバム『有頂天』をリリースしメジャーデビューした。日比谷野外音楽堂にてデビューライブを行う。その後、ゴダイゴやcharと共に全国ツアーを回る。78年3月、3rdアルバム『ドライヴ・サンハウス』の発売と同時に解散を決定した。83年、サンハウス再結成し、解散と再結成を繰り返している。

■シーナ&ロケッツ
1978年、サンハウスのギタリストだった鮎川誠がその妻のシーナと結成し、シングル「涙のハイウェイ」(当時の名義は「鮎川誠&シーナ・ロケット」「鮎川誠&ミラクルメン」)でデビューを果たす。翌年、YMOプロデュースによるシングル「ユー・メイ・ドリーム」がJALの「マイ・ハート・キャンペーン」のCMに起用されヒットし、また、YMOの2ndアルバム『ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー』では、鮎川誠がソリッド・ステイト・サヴァイヴァーとデイ・トリッパーの2曲にギターで参加するなど、一躍脚光を浴びる。以降、コンスタントにアルバム制作やライヴ活動を続け、海外でも広く名を知られる。コケティッシュでパワフルなヴォーカルとダイナミックなギター・サウンドで、日本のロック・シーンに大きな功績を残す。

■TH eROCKERS
1976年に結成。ライブハウスで活動するようになると、カラフルなスーツにグラムロック的なメイク、さらには、マイクスタンドを振りまわすといった派手なアクションで異彩を放ち、注目を集めるようになる。女性ファンが多く、興奮した女性たちが、履いていた下着をステージに投げ込むといったこともあった。80年、1stアルバム「WHO TH eROCKERS」でレコードデビューを果たすか、レコーディングの所要時間は3時間、全て1発録りであったのとからも、彼らがライヴに自信があったことが窺い知れる。

■ザ ・ルースターズ
1979年に結成され、翌年にシングル「ロージー/恋をしようよ」でデビュー。シンプルなビート主体の音であったが、83年の4thアルバム『DIS』でのサウンドはU2やエコー&ザ・バニーメンのようなニュー・ウェイヴの色が強くなり、ディレイギターやキーボードの多用など、初期の骨太なロックとは異なるサウンドへ変化した。この頃から心身症に陥った大江から主導権は花田と下山に移り、84年の『φ(PHY)』を最後に大江は無期限休養。ギターの花田裕之がボーカルを務めるも88年に解散する。2009年頃より、不定期的に活動。

■THE MODS
1979年: 映画『狂い咲きサンダーロード』のサウンドトラックに参加。81年にEPIC/SONY、英CBSと契約。ロンドンでレコーディングし、シングル「崩れ落ちる前に」アルバム『ファイト・オア・フライト』でデビュー。82年に「激しい雨が」がマクセル・カセットのCMソングに起用されたほか、彼ら自身もCMキャラクターに選ばれ知名度は一気に高まった。84年、 シングル「バラッドをお前に」リリース。この曲がTBSドラマ『もう高校はいらない』のエンディング・テーマに起用され、ヒットチャートの上位にランキングされる。その後、数々の作品の発表、精力的なライヴ活動を続け根強いファンの支持を受けている。

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