日本のロックの歴史#020

パンク・ロックの興隆

日本でのパンク・ロックの歴史は、1970年代後半、イギリスのセックス・ピストルズの成功を始めとして起こったパンク・ムーヴメントに影響されて始まった部分が大きいが、それ以前にも攻撃的なメッセージを含んだ歌詞やパフォーマンスなどで後に日本におけるパンク・ロック・バンドの原点とも評されるバンドも存在した。村八分、頭脳警察、そして、東京ロッカーズと呼ばれた、LIZARD、フリクション、ミラーズ、ミスター・カイト、S-KENなどが精力的に活動していた。

■ザ ・スターリン
1980年に結成。翌年の初のフル・アルバム『trash』を経て、82年にアルバム『STOP JAP』でメジャー・デビュー。同年には映画『爆裂都市』にも出演。観客に豚の臓物や汚物、爆竹などを投げ込み、拡声器を片手にサイレンを鳴らして暴れまわり絶叫する。そして、全裸になってオナニーをするなど過激なパフォーマンスで脚光を浴びた遠藤ミチロウ率いるザ・スターリンの常軌を逸したパフォーマンスは週刊誌などにも掲載され、世間一般にもパンクという言葉を浸透させていく事となった。

■アナーキー
1980年に髪を逆立てたメンバーが国鉄の作業服に身を包むなど、衝撃的なデビューを飾った。ファースト・アルバムに収録されていた「東京・イズ・バーニング」が、日本の皇室を揶揄する歌詞だったため、放送禁止となる。また、レコード会社が政治団体から抗議を受け一旦回収となるなど話題を呼び、アルバムは10万枚以上を売り上げた。日本に「パンク・ロック」という言葉、そしてパンクの反体制的なイメージを浸透させた。

■ラフィン・ノーズ
1981年に結成された日本のパンク・ロック・バンド。THE WILLARD、有頂天とともに“インディーズ御三家”と呼ばれる。83年に自ら設立したレーベル、AA RECORDSより、1st.シングル『GET THE GLORY』をリリース。85年、日比谷野外音楽堂でのライブで4000人を超えるファンを動員し、同年にはアルバム『ラフィン・ノーズ』でメジャーへ進出。圧倒的なパフォーマンスが熱狂を生み、いわゆる“バンド・ブーム”の先駆けとなった。91年に解散するも、95年に再結成。以降、ライヴハウスを中心に精力的に活動を展開。

■THE WILLARD
1982年に結成。83年に1stシングルを発表した後、85年にリリースした1st.アルバム『GOOD EVENING WONDERFUL FIEND』は、当時インディーズとして異例の一万枚以上を売り上げ、ラフィン・ノーズや有頂天とともに当時盛り上がりつつあった日本のインディ・シーンで大きな人気を博して“インディーズ御三家”の一つへと台頭。86年に『Who sings a gloria?』でメジャー・デビューを果たす。一時期移籍問題などで失速するもバンドは活動を継続、90年代以降も多大なリスペクトを受けている。

■有頂天
1982年結成の日本のバンド。KERA(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)を中心に、当初はコントや演劇的な楽曲やステージを展開するも、次第にテクノポップやニューウェーヴへ移行。80年代前半にTHE WILLARD、LAUGHIN' NOSEとともに“インディーズ御三家”と呼ばれ、異色の存在として注目を浴びる。85年にはチューリップ「心の旅」のカヴァーがヒットし、翌年にメジャー・デビュー。以来、インディとメジャーを行き来し、91年に解散。2014年12月に再結成、

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