日本のロックの歴史#005

ザ・フォーク・クルセダーズの時代

1965年、当時大学生の加藤和彦等により結成され、「世界中の民謡を紹介する」というコンセプトから「ザ・フォーク・クルセイダーズ」と名乗り、関西アンダーグラウンドシーンで活動していた。

1967年の解散を宣言し、記念に自主制作盤アルバム『ハレンチ』を制作した。このアルバムの中に自作の「帰って来たヨッパライ」『イムジン河』が含まれていた。

アルバム『ハレンチ』の楽曲がラジオで取り上げられるようになり、京都では『イムジン河』、神戸では『帰って来たヨッパライ』が頻繁にラジオで流されるようになった。

その後、東芝音楽工業よりシングル「帰って来たヨッパライ / ソーラン節」でプロ・デビュー。「帰って来たヨッパライ」が爆発的ヒットを記録し、オリコンで史上初のミリオンヒットとなり、当時の日本のバンドによるシングル売り上げ1位となった。

68年には「悲しくてやりきれない」がヒットするが、同年に解散した。日本のフォーク・ロックの草分け的存在であった。

0コメント

  • 1000 / 1000

地獄の入り口は楽園への近道?

カレーやエスニック料理、海外探訪、ロック、ジャズ、ブルース 、エスニック音楽などをレビュー。