日本のロックの歴史#011

ハードロックの誕生

■カルメン・マキ&OZ
69年、「時には母のない子のように」でデビューし、「戦争は知らない」などのヒット曲を出していたカルメン・マキだったが、70年にロックへの転向を表明する。

近田春夫と「カルメン・マキ&タイムマシーン」、竹田和夫率いるブルース・クリエイションと「カルメン・マキ&ブルース・クリエイション」を組む。

1972年、春日博文らとともに「カルメン・マキ&OZ」を結成し、1975年に名曲「私は風」を含むファーストアルバム『カルメン・マキ&OZ』をリリース。10万枚以上を売り上げ、当時のロックアルバムとしては大ヒットとなる。

■紫
リー ダーでキーボーディストのジョージ紫を中心に72年に沖縄で結成。その後、下地行男(g)、比嘉清正、宮永英一(ds)が加わり75年にファーストアルバム「紫」でデビュー。その8月には 大阪に初上陸、10月には東京・日比谷野外音楽堂で頭脳警察と共演し、あっという間にハードロック・バンドの頂点の座を確立した。

■外道
加納秀人を中心として結成。74年、ファーストアルバム『外道』、シングル『ビュン・ビュン』をリリース。暴走族に絶大な人気を誇り、ライブでのトラブルが絶えなかった。日本のロックバンドとして初めての海外のフェスに参加するなど、伝説的な存在である。

■BOW WOW
当時19歳の山本恭司(g)は、佐野賢二(b)と、「DO.T.DOLL」(ドゥー・ティー・ドール)の解散後の斉藤光浩( g)、新美俊宏(dr)を加え、バウワウを結成。76年12月、『吼えろBOW WOW』でデビューを果たす。当時の日本ではまだ珍しかった正当派ハード・ロック・グループとして大きな注目を集めることとなった。

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