日本のロックの歴史#024

ロックのアイドル化

■チェッカーズ
1983年、アイドル全盛を極めた日本の音楽界に本格的な演奏を聴かせるバンドとして「ギザギザハートの子守歌」でデビュー。翌84年にリリースされた「涙のリクエスト」が、そのルックスからアイドル的な人気を得て、一躍全国区に押し上げる大ヒットとなった。しかし、デビュー後のサウンドはメンバーたちの音楽的方向性とは異なるものであり、徐々にアイドル脱却を図り着実にアーティストとしての地位を確立していった。92年の大晦日に解散。

■吉川晃司
1984年に映画『すかんぴんウォーク』で主演、主題歌「モニカ」でデビュー。以降、ヒットを連発。88年に活動休止するも、翌年に布袋寅泰とCOMPLEXを結成し、「BE MY BABY」で再デビュー。90年の解散後はソロ活動へ移行し、ロック・アーティストとして不動の地位を確立。精力的にライヴを行なうほか、映画やドラマ、ドキュメンタリー、CMなど幅広く活動を展開している。

■C-C-B
1982年、“和製ビーチボーイズ”をコンセプトにココナッツボーイズ”を結成。翌年、シングル「キャンディ」でデビュー。85年、バンド名を“C-C-B”と改名し、「Ramantic が止まらない」が大ヒット。その後も「ないものねだりの I Want You」などのヒットを重ねる。 87年4月に関口誠人が独立。89年に解散。

■プリンセス・プリンセス
1983年、TDKレコード主催のもとでガールズバンド結成のためのオーディションが行われ、「赤坂小町」が結成され、84年にシングル「放課後授業」でデビュー。事務所のアイドル的な方針へ反発し、事務所を移籍し、87年にプリンセス・プリンセスとして再デビューする。88年に「MY WILL」「19 グローイング・アップ」などのヒットで頭角を現し、89年に女性バンド初の武道館公演を成功させる。シングル「ダイアモンド」「世界で一番熱い夏」の特大ヒットで、当時わき起こっていたバンド・ブームにおける女性代表的な存在となる。以後も順調にヒットを飛ばしたが、95年に解散を表明した。

■KUSU KUSU
1988年に結成。カリビアン・ミュージックにアプローチしたエスニックなサウンドが特徴のバンド。インディーズ時代からホコ天などで人気を集め、89年にTV番組『イカすバンド天国』に出演。オレンヂバナナ」を演奏し、「在宅審査員賞」と「チャレンジャー賞」を獲得し、全国的に脚光を浴びた。同年にファースト・アルバム『光の国の子供達』を発表。その後も順調にリリースを重ね「地球オーケストラ」などのヒットを放った。しかし、ハイ・レベルな作品群とは裏腹にアイドル的なイメージから脱却できず、94年に活動を停止。

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